政治課題





課題1救命救急センターの早期設置

千葉県の太平洋側には救命救急センターは鴨川市の亀田総合病院と旭市の旭中央病院しかない、なぜ太平洋側の中心地に無いのだろうか?これはおかしいと思った。また山武郡市の救急車は山武郡市以外に搬送される率が3割を超えているし病院への搬送時間も40分を超えている、「命」を救う為にどうしてもこの地方に救命救急センターを作り上げると決意した。私の事務所に救急救命センター早期設置の大看板を掲げたのは平成15月であり私の決意を公に示したものだ。千葉県議会において医療問題を扱う委員会は、健康福祉常任委員会であるので私はこの委員会に所属し続けている。他の委員会に属した18ヶ月間を除きだが。その間に健康福祉常任委員会の常任委員長2回副委員長を1回と異例ではあったが、先輩議員の理解のもと努めることができた。当然現在も健康福祉常任委員会に属し医療問題について発言しやすいまた私の考えを反映しやすいポジションにいる。

救命救急センターは医療圏に1箇所の設置が認められている。当時は山武印旛の医療圏でありそのなかには既に成田日赤病院と北総病院がありセンター設置ということは難しかった。また医療圏における病床数の上限が限られているため、最初に取り組んだのはベッド数の確保でありこれは幸運にも13年に900床確保できた。最初の関門は通過。次に千葉県は、東金病院の老朽化に伴う対策をとる必要があること、県立病院の内赤字を出しているのは地域医療を行っている東金病院、佐原病院及び鶴舞の循環器病院であるのでこれへの対処策が必要となった。こうしたことから県は県立病院の経営健全化・将来構想策定委員会をつくり(私も委員の一人であったが)山武地域医療センター構想を提唱し、山武郡市が中心となり県や医療関係者が集まった策定委員会でほぼ成案を作り上げた。

しかし地域医療センター構想に反対する山武市長の出現により計画は中断され、関係者の粘り強い説明など紆余曲折はあったが最終的に山武市長の意見を汲み上げた計画を作り上げた。最終段階で、千葉大より、各首長に対しセンター長に予算や人事権は付与されるのかとの問いにたいし、山武市長だけが反対したため、山武郡市全体で地域医療センターを作り上げる計画は放棄され新たに東金市、大網白里町、九十九里町でセンター構想を立ち上げることとなった。千葉県は、千葉大学の協力を仰ぎながらこの計画に財政支援を含む包括的支援を行うとした。

しかしこの計画も大網白里町議会の反対により頓挫したがこの地域の救命救急への強い需要により東金市と九十九里町でセンター構想を継続することとした。県は85.6億の財政支援、県職員の派遣、検討協議会への健康福祉部長や病院局長の参加など全面的な協力を表明し、また、千葉大学もセンター長候補者の推薦や協議会への教授の参加を通じて医師の派遣に最大の協力をいただけることとなった。

平成223月現在現在の状況
運営主体 地方独立行政法人「東金・九十九里地域医療センター」 


■医療センターの概要
病床数 314床(ICU 10床 HCU 10床を含む)
診療科目 22科
医師数 56名
看護師 286名
全体事業費 128億6000万円
設置場所 東金市丘山台
■スケジュール
用地取得 平成23年3月29日買収
設計 基本設計 23年2月終了
実施設計 23年12月
建設工事 24年1月開始 25年12月竣工
開院 26年4月1日

以上のとおり計画はレールに乗り動き始めている。地域医療センターの必要性は、2111月に実施されたセンター病院の早期設置を求めた東金市民3万人の署名や昨年地域医療センター建設の是非を最大の争点として争われた東金市長選において、志賀市長が投票総数の過半数を獲得したことにより、論争の決着をみたものであります。今後は、計画の幹の部分ではなく枝葉の部分で改善を図っていくことになります。
医療問題の基本は、お医者さんを確保し、そのお医者さんが喜んで仕事をしていただく環境づくりにあります。 医師確保の具体策については、県内唯一の医師養成機関である千葉大学と医療センターとの間で233月30日に医療センターに千葉大学医学部付属病院九十九里地域臨床教育センターを設置する旨の協定書が取り交わされた。このことにより千葉大学は医師確保に責任を持つこととなりました。
看護師確保については、開院に備え奨学金制度を23年度から導入し、指導的看護師となる認定看護師資格取得のための支援もおこないます。24年度より城西国際大学に看護学部を設置し、大学と連携を取りながら看護師確保の基盤づくりをします。また看護師宿舎を整備し、敷地内に院内保育所を設置して働きやすい環境を作ります。
現況をビラ風に書くと、次のようになります

今度の病院は災害拠点病院

  地震があっても、免震構造のため大丈夫
  水も電気もガスもバックアップを作るから大丈夫
  ヘリポートがあるから薬も大丈夫
○お医者さんも大丈夫
   千葉大学は、今度の病院を地域臨床教育センターとすることで330日に調印。いわば今度の病院は   千葉大学第2付属病院化したことになります。
○看護師さんも大丈夫
   開院前から看護師さんに就学資金提供、認定看護師さんの受験料も県が払います
   来年から城西国際大学に看護学部を開部し、毎年60人の看護師さんが生まれます。
○全体事業費128.6億円
   千葉県から85.6億円 国から4.7億円 
   運営資金に国県から4.
3億円受け取れる。市の持ち出しは、いままで旧成東病院に支出していた額の   範囲内です。

■レールに乗って動き出した病院のスケジュール

基本設計は2月24日完了
土地購入は3月29日完了
実施設計は、12月に完了
241月着工
2512月竣工
2641日開院
病院の開院により、毎年救急車の中で亡くなっていた200名を超える人の命が救えることでしょう。
この地域でお産をすることも出来ます。安心の医療体制が整えられます。
まだ医療のことではやらなくてはならない問題がありますが、誠実に取り組んでまいります。


課題2 東金線を本線としたい

 かつての千葉県内の鉄道計画によれば東金から成東経由佐倉千葉が本線であった。
明治後期の地方経済力からいえば東金は上総の東金であり房総方面への物資の中継基地であった。
物流は東京、千葉、東金から片貝または房総方面と結ばれていた。
片貝からは鰯のホシカ(鰯などを乾燥させ肥料としたもの)が関西方面へみかんや綿花栽培の肥料として運送されていた。当然交通網を整備する際には経済力すなわち需要があるところを結ぶのが原則である。
東金からの鉄道が計画されたときに、当時の蒸気機関車からの煙が健康に悪いと風評されたため、また東金地域の発言力が強かったため、計画は破棄された。
その後、大網白里駅と成東駅を結ぶ支線として東金線が完成された。線路建設のために東金市街地の裏山は削られ、崖になっている。もし明治の東金の指導者が先見の眼があれば当然東金は本線として機能しており違った形でもっ発展してしていたに違いない。

私も県議会議員として権能を一時期与えられているのであるから将来への禍根を残さない、いくばくでも将来の発展の芽を残さなければならないと自戒している。
東金が現在の形になっているのは、政治の力が多きいと考える。
○学校の多さ
県立東金高校、県立商業高校、私立学芸高校、城西国際大学、県立農業大学校、県立警察学校
県立技術専門校
○県の出先機関
山武地域整備センター 地域整備センター 保健所 県立東金病院  家畜保健所 
 これらが人口6万人の小さな市にあるのである。これらが存在するのは、東金の政治力が他地区にたいしては結集していたためであろう。交通網からいえば高速道路を千葉東金間に建設できたのが大きい。計画を実行した人からの話しでは、あの道路は当初もっと茂原よりに計画されていたが、千葉県の頭越しに当時の大蔵省の主計官と話しをつけ現在のルートになったと聞いている。当時の知事からはその後相当な圧力があったようだ。またルート決定後の土地買収に関しては、千葉東金間で最初に買収を完了させるとの意気込みのもと市役所の職員のうち買収予定地に縁のある者を選び特別チームを作り数ヶ月で買収を完了させたと聞いている。千葉東金道路のおかげで東金が生き延びられたと考えられる。
鉄道に話しを戻すと東金線の利便性を高めるためにいくら努力をしても支線の限界がある。当選以来成東発東京行きや千葉行きの直通便を増やすことはしてきたがやはり限界がある。やはり本線にしなければならない。これは技術的にみれば松尾駅と成東駅のしかるべきところから線路を分岐し東金線に結べばいいことである。この考えを実現する最も早い方法は少なくても東金と成東が合併することであろう。一つとなった自治体の中心を走る鉄道の利便性を高めるのは首長のビジョンと考えるからである。住民にとり東金線経由の方が佐倉経由より10分東京までの時間を短縮できるからである。松尾 横芝光にしても東京まで10分早くなる。
JRにとっても東金線経由の方が利用客や人口が多いのでメリットが高い。
また、日向駅は、成東、佐倉、千葉、鎌取、大網、東金、成東と循環線を走らせることもできる。
こうした考えのもと、私は合併をするべきと考え推進してきた。しかし合併は東金市の住民投票により否決され、東金市は合併から離脱した。合併した山武市は新しい街づくりに没頭しているのでいずれしかるべき時に東金線を本線とすることの話し合いを持つことにしたい。東金線の本線とすることは一時棚上げの状態である。
山武郡市の合併の理想形は、山武郡市が一つの自治体となることである。東京から、45分の大網、成田空港に隣接する芝山、長い九十九里浜、可能性に満ちた自治体であり良きリーダーに恵まれれば素晴らしい地域となろう。しかし現実には、合併論議から芝山、横芝、大網白里が抜け、東金、成東、山武、松尾、蓮沼で合併協議が進められた。私の合併論は、東金線を本線とするためが一つ、二つめは、明治時代の村に現在の市町村を分解し、その村に自治権を与え、住民のもっとも身近なところで住民自治をしてもらうことであった。具体的には、村の中心は公民館で合併した市から職員を少数派遣し、必要な人材は団塊の世代などから募集し、特色ある運営をし、自分たちのことは自分たちで決めることができる仕組みを作り上げることができると考えた。
これが出来上がればどんな大きな市になってもかまわないと考えた。自治はもっとも身近なところで意思が決定されることが望ましいし、おらが村という共同体意識が醸成される。明治の村の範囲を超える道路などの行政は市の中央がやれば良い。私が合併にさいして訴えたのはこうした事の他、新しい市の名称は九十九里市、行政の中心は、本線となった新しい成東駅周辺に、経済の中心は東金にといったことであった。市の名称を九十九里としたのは、全国的にとおりが良いことであった。当然反発が予想されたが、東金市の場合、東金の周辺の地域は明治の合併の時に江戸時代の村の名前をすて、次に昭和の合併により又変更した歴史がある、すなわち約50年に一度自治体の名称を変更しているから名称の変更も理解していただけると思った。ただ東金は江戸時代から東金であるから反対は激しいと予想した。ただ新しく引っ越してきた人達や若い人達は広い視点で見てくれるだろうから何とか九十九里市でいけると思っていた。
しかし、東金市で実施された住民投票の結果、合併は否定された。なぜ合併が否定されたのかの原因の調査はないが、東金市の名称への愛着が強かったと思われる。事実新しく引っ越してきた人達は東金という名称に引かれて引っ越してきたといわれたし若者も始めて投票にいったのが住民投票で反対と書いたといわれた。私の名称へのこだわりを軽く考えた浅はかさを悔いるものである。
それでも将来のことを考えると合併すべきであったと考える。
千葉県からは、東金、九十九里、大網白里の合併が示されているが、合併期限の来年 月までは、なかなか難しいと思う。合併は、3市町の共通する行政課題 例えば観光や農政などはたいしてちがいがないのだから、観光は九十九里町、農政は東金市に集約して、実態的な合併をしていくほうが現実的では、と考えます。

課題3 水不足対策

 九十九里地域は房総丘陵に降った雨に依存している。
その雨が中小の河川となり田畑を潤し、又、地下に染み込んで井戸水として使用されてきました。
しかし、房総丘陵の雨水だけでは需要をまかないきれない。従って水を利根川から引水することにしました。農業用水は
両総土地改良事業により、飲料水と工業用水は房総導水路によりました。
従って水を確保するための費用は多額の為、飲料水の値段は日本で一、二を争う高さです。
農業用水も維持管理、運営などに多額の費用がかかります。工業用水も同様です。
これらの水の価格を県内の平均的なレベルに出来るようにする。これが「水不足対策」である